本編に収録されなかった対話集
(その①)
吉:やっぱねえ、おれ思うけどさ、一番初めにノイズの録音とかしてたときって本当に機材も何もなくてラジカセで録ってたのね。コード一本をラジカセに繋いで。そういうところから始まっているから、今逆にノイズやる人ってすごい機材に恵まれてるじゃん。スイッチ押したらノイズでちゃうような機材もいっぱい出てるし
市:自分だって使ってるくせに
吉:むふっ!いや、まっ、機材は分かるんですよ。というかおれが触ると機材が喜ぶんですよ!
市/ゆ:(爆笑)
市:名言出たよ名言
吉:市場さんのペンや筆が喜ぶのと同じように、、
市:おれ百円ショップの筆だから
吉:ゆこりん書いておいて、「機材が喜ぶんですよ」って
市:これは名言。名言出ましたよ。すごいこっちの勝手な解釈だけど(笑)
吉:まあでも、色々機材使っててもなんだかんだで最終的にはいつもの自分のサウンドになっていくんだよなぁ。それでそうこうするうちに結果的にはシンプルなセッティングになって行くという
ゆ:Dead Body Collectionとのコラボ聞きました。本当に冒頭からNoise Wallで
吉:ただゴーーーっと延々と続いてる、、
ゆ:ライブで生で見た方がいいかもしれませんね
吉:うーん、どうかなあ。そういうのヨーロッパ的な感覚だとさ、向こうって生活の一部として音楽聞くじゃん。例えば日本だと5分ぐらいの曲を好むけど、ヨーロッパだと60分で1曲みたいな。そういう曲のほうが好まれたりする。それって結局流しっぱなしにして、生活の一部になっちゃってるみたいな。そういう聞きかたをするみたいで
ゆ:クラシックも60分超えありますし
市:うるさかったのに突然静かになって、終わったのかと思ったら突然「ぱーん」って。おいおいおいおい、何してくれてるのって(笑)
吉:なんですかそれ、自分でもやってるじゃないですか(笑)
市:あとはインドのシタールとかラーガとか。50分ぐらいずっとやってる。トランス状態っていうの?なんかちょっと音楽の感覚が違う。時間の使い方が違うって言うの?日本人は起承転結みたいのを求めたりするっていうか、物語風を望んでいることもあるかもしれない
吉:日本人って音楽に対して、なんか貧しいっていうか、、
市:どういうふうに?
吉:ちょっと抽象的な言い方だけど、欧米人って音楽に対して余裕があるっていうか、もう完全に生まれた時、子どものときから音楽が生活の中に当たり前のようにあるから、全然普通に音楽が聞こえて来たらこうやって普通にノルし、、。日本人は音楽に対して構えるっていうか、踊るぞっ、て決めてから踊ってる感じがする。そもそも人前でみんながみんな平気で踊る訳でもないし。結構恥ずかしがるじゃないですか、日本人って
市:今思い出したけど、外国人、例えば英語を使っている人たちっていうのは、一つの言葉じゃん、「愛」は愛、「私」とか「俺」とか、特に敬語っていうのが強くあるわけでもなくて。。英語自体がメロディーみたいな感じになっている。その感覚って、日本人は意味とか「なんでそんな言い方するんだ」とかそういうところから始まっている文化っていうか。分かりやすく言えば、ざっくりしているか、ぎちぎちしているかっていう。
ゆ:あと、リズム打ちがある音楽って、西洋から来ていますよね。あと大陸の騎馬民族の音楽とか。日本は民謡をみても独特じゃないですか
市:例えばどんな民謡があるの?
吉:要はまあ、日本人は農耕民族なんだよ
ゆ:体が慣れるのに相当時間かかるんじゃないかと思います
吉:狩猟民族と農耕民族の違いじゃないんですかやっぱ。あと肉食と草食の
ゆ:農耕でも日本のノイズは激しいですよね
吉:新しい手法を見出そうとかしていませんか、あの子ども絵みたいな
市:何を訳分からないこと言っているんだよ
吉:ああ、その衝動が音楽活動に導いていったという?
市:だっておれ前から音楽やってたからさ、ノイズはもっと自由度の方にいって、自由度の方で話をしていたらさ、そうじゃない、ということになって、「きちがい」みたいなこと言われて(笑)
ゆ:その時の流れで?
市:って、本当は誰も言ってないけど(笑)いや、もっと捉え方は自由で、吉田さんのノイズってあるじゃん、ゆうこりんのノイズ、おれはおれのノイズの捉え方っていうか。それこそ型がないっていう。クラシックはある程度こういう歴史もあったりさ、こういうスタイルとか。。現代音楽でも現代音楽風、ノイズ風とかもあるけどさ、ノイズはもっと自由だと思っているんだよね。なんにしても。でもそれをまた意識するとカテゴライズになってくる可能性があるから、、、っておれは今そういう話をしたいんじゃなくて、要は自由なんだよ。おれはやっぱり基本的に自由、自分自身がカテゴライズしようっていうのがあって、自分自身のどこかに。それを裏のもう一人の自分が“そんなの関係ねえや”って、“いやいやそういうそうじゃないから”、、って言ってるお父さんみたいなやつを壊すためにやってるふしがあってさ。それが自由度を感じるところ、音楽で言うとノイズであったり、自分の描いているような自由な世界の絵とかってになっていったんだよね
吉:市場さんは意外と理由を求めますよね。なんでやるのか、みたいな
市:あくまで現実にそうやっている人がいたら、なぜそれでなきゃいかなかったのか。って。おれ、初めて会ったような、隣で飲んでいるおにいちゃんとかと話したりすると、「おれ空手やっているんです」「へえすごいね、何年やっているの?」例えば「10年やっています」「小学校からやってたの?」「そうです」「へえ、じゃあなんで空手なの?柔道もあったし、剣道とかいろんな道、レスリングでもいいし」そしたら「僕はチラシを貰ったんです」「どういう意味?」「なんか勧誘みたいな。なんとなく行ったら面白くてやったんです」っていうのを聞いて、”そういうきっかけか”と。なんの精神論もないじゃねえかって
吉:でもそれ言ったら、じゃあ「なんで市場さんは市場なんですか?」っていうそういう話になってきません?「なんで、熊本で生まれて?」みたいな。結局それになっちゃうと思うんですよ
市:だけど、聞くんだよ。。ただ聞きたいんだよ
吉:まあ、自分の中の表現行為に対しての結論はそれでいいんですけどね。。それを例えば第三者に聞くことによって、「ああ、そういう意見か」みたいな、そういうのは自分でも聞きたいと思いますよ。どう思っているのかな、みたいな。ただ、自分の中では、結局答えは出ないっていう結論が出ちゃってるんですよ
市:そうねえ、答えで言えばそういう感じだね。別に答えはない
吉:答えを出したとしても一年後には考え方変わるだろうし
市:いや、一年後に考えが変わるとかいう話というよりもね、なんか、、どこからともなくふっとただ出てきたことに人間って一喜一憂したり、あたふたしたりしているんだなっていうのをどこか確認したい作業をしている感じかなあ
ゆ:市場さん、落ちることあるんですか?
市:ありますよ。最近はあんまりないけどね。落ちようがないっていうか。別にもう興味がなくなったっていうの?そういうことに。おれ死んでもいいと本当に思っているからね。尊厳死じゃないけど、痛いのはイヤだよ。イヤだなって思っているんだけど(笑)
吉:要は、今死んでも悔いはないっていうことじゃないですか?自分だって、今死んでも別に悔いはないっていうか、後悔も別にないし。それなりに楽しい人生だったし、みたいな。それはあるから、、、
市:ただね、おれイメージだけだけど40から50代ぐらいの間に、そういう風に考えていく時期に来るんだなっていうのは、必然的にそうなっているような気がするんだよね。だから、そこまでその人が何をしてきたかでその発想がどっちに変わるかっていうか。例えば政治家達、おじさんたち、おじいさんって言っていいかもしれないけど、あの人たちまだまだやろうとしているでしょ。もう自分のフラットな考えよりも、もっと沢山やらなきゃならないことが多すぎて、自分を生きられなくて、でももっとすごいものになるっていう風になっちゃってて、他に考えようがないんだろうけど
吉:あと、権力を持っちゃうと、もっと権力にしがみつきたいっていうのもあると思うんですよ
市:だから、おれ達も、人間ってそういう欲持っているじゃない。おれ達だってもっと更に売れてたらどうなっていたかっていうことだと思うんだよね。誰って例えたらいいか今分からないけど、そういう存在にもしもっと若いときになっていたら、考え方は変わっていたと思うけれど、年相応っていうか、それなりに考えられる余地があったって。人間って時と場合で全然変わって行くと思うしね。だから、今考えたのは、吉田さんはもう子どもを持つぐらいしかないのかな、っていう。自分が「へえ~」って、全然どうしようもできない世界を「ぽん」って生んじゃうっていうか生ませるきっかけっていうか、、
吉:子供というよりは今はネコですかねぇ~ でもネコを飼っちゃおしまいかなってw ネコというよりはずっと子ネコがいい。あの無垢な目を見るとねトロトロになってしまいますよw
市:病んでる病んでるw